小田急線「東海大学前」駅徒歩1分東海大学学生さんへの賃貸アパート紹介・秦野市伊勢原市不動産売買仲介を47年。松屋不動産での日々の出来事を物件情報とともにお届けします
今回、木村和司さんのトークショーのお相手を務めさせていただきます中野です。
どうぞよろしくお願いいたします。
和司さんとは今から8年前、あるトークショーのお相手を私がさせていただいてからの
おつきあいになります。
でも前回以上のお話を皆さんに披露できると今から確信してます。
それは、和司さんんが『裏切られ続けても愛してやまないマリノスの監督』をなさったあと
だからです。
僕にとっての木村和司さんは、実はサッカーをやっていた時の完全なリアルタイム
プレーヤーではありません。僕がやっていた時代はむしろ釜本邦茂さんの全盛期で、
子どもたちの憧れの背番号は『9』。ストライカーの番号です。
その憧れの番号を『10』に変えたのが、当時読売クラブに来日し、ブラジル仕込みの
テクニックで僕らサッカーファンを驚かせたラモス瑠偉さんであり、我らが『日本人プロプレーヤー第一号』である木村和司さんだったと思います。
1985年
あのドーハの悲劇よりも、もっと前
日本がW杯初出場を果たす13年も前に、日本がW杯に限りなく近づいた年が1985
年でした。最終予選 対韓国戦
そこで生まれた伝説の40Mフリーキック。
当時、フリーキックを直接ゴールに入れるなんてことが、日本人のプレーヤーには到底
出来ないと思ってた時代に和司さんが蹴った曲がって落ちるフリーキックは、本当に
『衝撃的』と言えるものでした。テレビで見ていた僕はこのとき20歳。
それから20年間、ずっと『会ってみたい』と思ってた方に40歳の時に初めてお会いした
時の興奮は忘れません。
その時もトークショーの依頼でした。和司さんのご自宅まで。説得すること2時間
『サッカを知らない人とは話さえしない』と聞いていた和司さんが
『あんたなら大丈夫じゃろ』
と言ってくださった時の笑顔は本当に忘れることができません。
それ以来、様々な場面で交流をさせていただきました。ですが和司さんは
『現場』に戻ることをしませんでした。つまり『監督』という指導者としての現場に。
お話がなかったわけではありません。むしろあったのを断り続けていらっしゃいました。
実はそこにはすごくすごく深い『想い』があるのです。
マリノスファンの方々であれば、たぶん聞いたら泣いちゃうんじゃないかな(笑)
サッカーだけではなく、人の一生の中で、この『想い』が一番大事だと想うのです。
今回、地元東海大学の方々に、そして木村和司さんに少しでも興味を持っていただい
ている方々にと思い、SNS上でつぶやいた僕の一言に熱い『想い』を持った方々が
たくさん賛同してくださって、開催の運びとなりました。本当にうれしく想ってます。
ですから、今回のトークショーの中で、そんな『想い』を皆さんに伝えることが僕の
使命だと想ってます。和司さんにも言えないこともあると思いますけどね(笑)
楽しみにしていてください。
更新日時 : 2014年08月28日 | この記事へのリンク :