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南相馬市に生まれた震災を知らない新しい命
南相馬市子ども保養プロジェクト2018福嶋 秀樹
あの東日本大震災翌日から受け入れを開始。多い時で29家族の方を秦野市で受け入れ、実家が被災した大学生のアルバイトを6人雇用、そして震災以降、東北へ赴きボランティア活動を継続して続けてきました。
そして2015年9月には多くの方のご協力で2014年まで2年間、 当社で働いていた若者が開校した南相馬市の塾から14名の方を往復の交通費など全額チャリティお招きできました。
あの東日本大震災から6年9ヶ月経った今、私たちが出来ることは風化させないために「伝え続ける」ということ。
今では東北に多くの大切な友人がいます。「あの東日本大震災のことは忘れたい。だけど周りからは忘れられたくない」と涙ながらにおっしゃった女性も数人いました。
伝えるために「行動」します。
「あの東日本大震災のことを忘れるわけがない」
あの震災以降、当社アパートへ受け入れをした福島県浪江町、大熊町やいわき市、双葉、宮城県女川町や石巻市など震災がきっかけで会い、今でもおつきあいあるお客様であり大切な友人たち29家族のことを。
「あぁ明るい」と本当に嬉しそうに赤ちゃんをだきながら言った福島県いわき市女性のことを。彼女は今もこの神奈川県秦野市にいらっしゃいます。赤ちゃんは今、小学校へ通ってます。
2年秦野市に住み仕事をしていたけど「やっぱり女川は俺たち若者が復興に頑張らないと」と笑いながら宮城県へ戻って言った2人の若者のことを
神奈川県秦野市へ福島県南相馬市や宮城県気仙沼市からいらっしゃった女性たちが「復興はまだまだこれからなのに忘れられているようで悲しい」と悲しそうな顔をされたことを
建築してまだ5年の建物が被災し放射能による立入禁止区域に指定されたためにここ秦野市へお越しになり、先月、おじいさんの代から続くお店の屋号を引き継ぎ一歩を踏み出した福島県双葉郡赤ちゃんは浪江町ご出身の家族のことを
いつも東北へボランティ活動へ行った時、手作りのスィートポテトパイや福島の特産物をたくさん持たせてくださる福島県伊達市の女性のことを
私と同い年で国から依頼を受けて除染作業をしていたり、同い年で保養活動を継続している福島市や二本松市の親友のことを
本当に本当に多くの東北人と出会ってきました。そしてその東北の方達もご協力をいただいています。
引き続き、東北へ行き続けボランティア活動をしながらも、この6年9ヶ月でできた東北の大切な友人たちに「遊びに来たよ」と会いに行きます。 そして神奈川県にいながらも「南相馬市と秦野市の子どもの交流」を通じて多くの出来ることをこのプロジェクトで実践します。
できることを「継続」して伝え続ける。そのために行動します。
「あなたたちのことは忘れていません。ずっと想い続けています」と伝えられたらと思うのです。 皆様、どうぞよろしくお願い申し上げます。
神奈川県秦野市在住 福嶋秀樹拝
更新日時 : 2017年09月18日 | この記事へのリンク :